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木村産業研究所
弘前市在府町61
昭和7年(1932年)竣工延べ
面積 468㎡
RC造2階建建築
面積 287㎡
27歳陸羯南や笹森儀助が生誕した、今なお武家屋敷の風情を残す在府町に、昭和7年(1932年)に建てられた前川國男の処女作。 2年間のパリ留学の帰途の船上で、母(弘前市出身)と同郷の木村隆三の依頼により設計。当時、フランス大使館付武官として渡仏していた木村は、関西の実業界で活躍した祖父木村静幽の地場産業振興の願いを託され、現地の産業の研究機関調査に当たっていた。パリでは、前川の叔父佐藤尚武(当時国連事務局長)を通し、前川國男と親交が深かった。当初の意図は現在でも引き継がれ、平成の今でも「こぎん研究所」として、訪れる人に津軽の手仕事を丁寧に紹介している。 正面玄関には、70年以上経た今でもモダンな佇まいを見せる、全面が横長のスチールサッシュのガラス張り。光の屈折が、時代を感じさせ思わず見入ってしまう。右手のピロティをくぐると、緩やかなカーブで裏庭に突き出した貴賓室が見える。箱形と言われる近代建築の中にあるこのなだらかなラインが、実にほっと訪れたものを迎える。当初は1階と2階の屋根は陸屋根になっていて、それを結ぶ外部階段があり、正面玄関の上には、バルコニーが張りだしていた。凍・雪害により仕方なく屋根にはトタンをかけバルコニーの張り出し部分は取り除かれた。 他にも、2階へ続く階段のブルーのおしゃれなモザイクや会議室の両窓側に設置されている手間をかけた人造石のテーブル、トイレのクリスタルのノブなど、若き日の前川の建築家としてのみずみずしい感性が随所に感じられる。 昭和10年にここを訪れたドイツの建築家ブルーノ・タウトが、著書『日本美の再発見』で、“コルビュジェ風の新しい白亜の建物”と記している。 『前川國男の建物を大切にする会』の活動の一歩は、この建物のドアを開いて中の空間を感じた時からと言っても過言ではない。バルコニーの再現や屋根の復元を含め、この建物の補修は未来への大きな課題である。
2003年6月 国の登録有形文化財に登録、翌2004年には、DOCOMOMO100選に選定された。