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2012.10.29
プチ博物館 2019年10月末にて閉館
(財)木村産業研究所(弘前こぎん研究所2F) 入館料 無料 月~金 10:00~4:00pm
見学をご希望の方は、当博物館エントランス入って右側の 「こぎん研究所」事務室にお声かけ下さい。
毎年、桜祭りとねぷた祭り期間中は会員によるボランティアガイドがあります。
■Director ミド同人 仲邑 孔一
■協力 前川建築設計事務所 A-haus
■お問い合わせ info@maekawanokai.com
長く弘前市民に親しまれている前川建築作品群。ついに市民の手により弘前と前川國男の関係を常設で体験できる博物館が完成します。施設を体験することで、より多くの人に前川本人とその作品が親しまれる事を希望している。弘前にある前川國男8建築作品の写真パネル・模型の展示(竣工当時の珍しい写真も多数)、前川処女作、木村産業研究所の手書きの図面、年表などを通し、建築家前川作品の全容がわかる博物館。また、館内の貴賓室を公開し前川の書斎を再現する。前川のプライベートな側面や空間の美しさを堪能してもらう。
□前川國男・プチ博物館 どんなところでしょう
前川の全作品は200余りになります。そのうち8つもの作品が弘前にあります。ここ博物館が置かれた「木村産業研究所」はその処女作になります。弘前の街中に散在する作品を一堂に集めて前川の「人生のうねり」を感じるとき、最初の出発点から始まって感動を新たにするのは意義のあることです。 なぜ弘前に巨匠のいろいろな建物がたくさんあるのでしょうか。もともと「母方の里」を大事に考えながら、より自由に自分を磨き上げて「本物の建築」を弘前のひとびとに提供してきました。気分の良い建築は次も望まれます。いろいろな時代を導きながら最前線でいて、弘前にあっても建築界全体を引っ張ってきました。人の心に感動を与える「ほんものの建築」は大きいのです。 ひとつの流れとして展示された作品はいつもよりずっと大きな「こだわり」をみることができます。コルビュジエの近代建築、前川の日本の近代建築、レーモンドからの影響、日本建築の再発見、日本折衷様式コンペへの抵抗などです。 機能を重視した四角な白い建物から、日本的な緻密な事柄を注意深く積み上げた「テクニカルアプローチ」の時代、力強い打ち放しコンクリートの時代、調和や人の心をうつ打ち込みタイルの時代、環境や優しさに成熟した時代、前川のそのときどきの「生きざま」が建築の歴史をつくってきたと言えるのです。 前川はいまだに赤鉛筆を握りながら落ち着いていられなくて博物館にいるのです。そんな前川國男にきっと会えます。
□建築家 前川國男 はどんな人でしょう
前川國男は弘前の血をひく建築家です、母親が弘前の人でした。「ほんものの建築」を「ほんものの人間」が創ると考えていました。建築家は自由の精神に従い、なお「謙虚」でなくてはならないという。 大学卒業と同時にパリへ、伯父の佐藤尚武がパリの大使館で国際連盟事務局長を、大使館付武官で弘前の木村隆三がいた。パリで男を磨き引き上げの船上で木村隆三から木村産業研究所を依頼される。自由に出来ると弘前の「血」が騒いだ パリでは近代建築の巨匠、ル・コルビュジエに師事、でもコルのところで前川自身の近代建築を考えていた。二年後帰国アントニン・レーモンドの事務所へ。木村産業研究所の設計料をレーモンドに差出しコンペの時間を確保した。仲間がやめさせられることに反対して連れて独立する。前川の「いきざま」躍如だ。 日本の現状で「ホンモノの建築」を貫くにはコンペしかないと、全部に参加した。落選覚悟で応募した帝室博物館のコンペは落選、若い建築家に檄を飛ばし現状に抵抗し前進をうながした。世界観が素晴らしい。 コンペの成果が前川を一流の建築家に押し上げ、弘前市は前川を「おらほの前川」として全幅の信頼を置き市役所の設計を委託する。当時の藤森市長はわざわざ前川を四谷に訪ね、前川は建築家の尊厳をくすぐられ相互の信頼関係が生まれた。 良い関係は56年間続き、8つもの作品が生まれる。全部が「ほんもの人間」が命を懸けての「ほんもの建築」を創ったのです。